2018年11月3日土曜日

量子化記号②

かなり時間が空いて量子化記号の続きについて語る.
さて,今回のテーマは以下2つの似通った文章の違いはなんであろうか,ということにする.

∀手1,∃手2 s.t. 手2は手1に勝つ  ・・・(1)
手1 s.t. 手2 に手1は勝つ  ・・・(2)

量子化記号∀,∃は前回の「量子化記号①」やどこか別のサイトや資料にて把握していただけているものとする.

以下では,2つの違いについての解説(解答)を記載するが,多少の余暇があるのであれば,どちらがどちらであるのか考えてみるのも面白いと思う.

・・・

本来,数学等で使用される記号というのは,わかりやすく誤解を与えないために生み出されるのが常であり,量子化記号ももちろんそれから外れているわけではない.しかし,もちろん慣れというのは何事にも必要であるため,まずは(1),(2)の文章を(できる限り)一般的な日本語のレベルまで落としてみよう.

「∀手1,∃手2 s.t. 手2は手1に勝つ 」・・・(1)
すべてのじゃんけんの手1に対し,あるじゃんけんの手2があり,それは手1に勝つ.

「∃手1 s.t. ∃手2 に手1は勝つ」・・・(2)
あるじゃんけんの手1があり,それはすべてのじゃんけんの手2に勝つことができる.

さて,多少はわかりやすくなったであろうか.
(1)は前回の解説の通り,じゃんけんの一般的なルールを表している.
つまり,「すべてのじゃんけんの手には,それぞれ勝てる相手が存在する」という意味である.(グーはチョキに勝ち,チョキはパーに勝ち,パーはグーに勝つという具合に)
これは,じゃんけんの一般的なルールを表しているため,(1)の文章を命題とすればこれは"真"である.

さて,では(2)はどうであろう.
(2)をもっとわかりやすく砕いて書くと「じゃんけんのすべての手に勝てる手が存在する」ということである.
つまり,相手がグーであろうとチョキであろうとパーであろうと関係なく,買ってしまう手が存在するということである.
・・・もちろんそんなものは存在しない.(命題とすれば"偽"である)

この(1)と(2)の式の違いの話は,∃と∀の順序の違いで意味が多きく変わるわかりやすい例である.数学のような論理の文章は細かく注意深く読まなければ,少しの誤解で大きく意味を取り違えてしまうため気を付けなければならない.

さて,以下余談であるが,筆者が小学生の頃,親指と人差し指だけを立てて拳銃の形にしたような手をグーチョキパーのすべてを表す手とする冗談があった.なぜすべてを表すのかは,手の形から推察してもらいたい.
つまり,(2)の式を満たす "かのような" 最強の手である.(これはわたしのいた小学校だけのローカルだったのであろうか)

この最強の手(これを"ケンジュウ"とする)を本来の手グー,チョキ,パーに加えてみたら,という仮定を考えてみよう.つまり,じゃんけんをグー,チョキ,パー,ケンジュウの4つの手で行うのだ.
さて,この新たなルールにおけるじゃんけんにおいては,命題(2)は真となりうるのであろ
うか.
(あえて,これの答えは書かないが,少し考えればある"パラドックス"が生じるはずである)








2017年6月2日金曜日

量化子記号①

∀ や ∃ の記号を見たことがあるだろうか.中学生,高校生にはあまりなじみがないと思う.主に,大学で学ぶ離散数学の授業などで初めて出会う人間がほとんどかもしれない.大学で学ぶといっても,中高生には理解ができないというほど,この記号の意味の意味自体はそんなに難しいものではない.
ここでは,この論理を学ぶ上で重要になってくるこれら2つの記号に着目する.
まずは,∀と∃が持つ意味を説明する.

∀: これは "すべて"(あるいは,任意の)を表す.(PowerPointやTEXなどでは \forall で出力できる)
∃: これは" ある" を表す.(PowerPointやTEXなどでは \exists で出力できる)

「...だから何?」と思う方も多いだろう.これらの記号をどう使うのか,じゃんけんを例にして考えてみる.


"すべて"のじゃんけんの 手1 に対し,"ある" じゃんけんの 手2 が存在し,
手2 は 手1 に勝つ ・・・(1)

長々と一文が続いているが,内容は難しいことを言っているわけではない.(手1や手2の1,2は後半の文章で二つの単語が区別できないとわかりづらいために,つけているだけで深い意味はない)

「"すべて"のじゃんけんの 手1 に対し」とは,「グーにもチョキにもパーにも」という意味である.この文章に続く「"ある" じゃんけんの 手2 が存在し手2 は 手1 に勝つことができる」とは,「グー,チョキ,パーいずれに関しても,それに勝つことのできる手が存在する」ということを意味する.
つまり,グーにはパーが勝つことができ,パーにはチョキが勝つことができ,チョキにはグーが勝つできるというじゃんけんの一般的な事実を表した文章となっているのである.



では,この文章をもう少し量子化記号を用いて数学っぽくしてみたいと思う.
「"すべて"のじゃんけんの 手1 に対し」は,「∀手1」 で表現できる(じゃんけん等の言葉は,シンプルに表現するため,ここでは省略する)
「"ある" じゃんけんの 手2 が存在し」は,「∃手2」で表現できる.
続けて書くと,以下の様に表現できる.

∀手1,∃手2 s.t. 手2は手1に勝つ  ・・・(2)

s.t. (such that ~)は,~のようなを意味する.「リンゴ s.t. かたくて食べれない」で,「かたくて食べれないようなリンゴ」となる.つまり上記は,「手1に勝つような手2」を意味する.
∀は”すべて”を意味すると前述した.ここでは,グーチョキパーすべてに対応する.俺に対して,∃は"ある"を意味し,こちらはグーチョキパーのいずれか一つ,あるいは複数に指し示している.従って,∃に対しては,「どのような」ものが存在(exists)しているのかを具体的に記述する必要がある.そこで,(2)のように s.t. の後にその情報を記述するのが一般的なルールである. 

(1)で長々と表現されていた文章がここまですっきりと表現できるのを見ると,多少はこの記号の便利さが分かるかもしれない.
だが,∃のような記号を使うのは何も文字数を節約したいだけではない.数学,主に論理学や暗号理論では,"任意"や"ある"といった表現がとても重要な位置にある.しかし,(1)で書いたような文章を,それぞれの著者がそれぞれの趣向の表現で書いていては,誤解を生む原因にもなる(英語はまだよいが,日本語では特に).従って,こういった表記法を標準に扱うことで,だれが読んでも誤解を生まない,より論理的な文章を表現できるのである.

ここまで,読んで「なんだ簡単じゃん」と思った方もいるかと思う.しかし,大学で学ぶだけあって多少の難関はある.それは以下の問に集約される.

「∃手1 s.t. 手2 に手1は勝つ」は(2)と何が異なるのであろうか

この文章は(2)によく似ている....が意味は全く異なるのである.
これに関しては,また次回解説する.




2016年10月30日日曜日

定義,定理,公式

定義と定理という言葉はよく見ると思うが,その違いを認識していない中高生は案外多いと思われる.

定義というのはある種のルール,決まりごとのようなものである.例えば,「2で割り切れる整数を偶数と定義する」とすれば,これは決まり事であり,以降は偶数という言葉はこの決まりに従って読まなければならない.本や論文を読むときにはこの定義に気を付けなければならない.文章中にわけのわからない言葉や記号が出てくるならば,どこかでそれの意味を定義しているはずである(単純に知識不足ということも多々あるが).
よく使われる自然数という言葉も本や論文によっては少し意味が異なっている場合もある(簡単に言えば0を含むか含まないか).

一方で定理は,定義やすでに正しいことが立証されている法則を用いて証明される命題である.定義との決定的な違いは,証明可能か否かということである.
雑談として,well-definedという言葉もあって,定義事態が正しいかという議論もある.誤った定義のもとに(つまり,誤った舞台設定の下で)証明された命題はその真偽にも誤りが生じることがあるため,定義をする際は細心の注意が必要である.

また,公式という言葉も多々聞くと思うが,これは定理よりも数段格の落ちるもので,正しいことが知られている事実から容易に導き出せるものを指す.私は公式を「計算を短縮するためのもの」程度のもので認識している.よく聞くのが「2次方程式の解の公式」で,これも一般式から容易に導くことができる.



雑談として,5次以上の方程式には解の公式が存在しないということがアーベルールフィニの定理として知られている(つまり,これは定理である).

時々,数学は公式を組み合わせて解くもの,と言う先生もいるが...あまりにもそれは...